探検


小4の「部品を交換して」にタミヤが見せた“感激の対応”→数十年後、本人が知った驚きの事実 [きつねうどん★]

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1きつねうどん ★
垢版 |
2026/10/25(日) 07:51:11.02ID:qVLcgRhN
小4の「部品を交換して」にタミヤが見せた“感激の対応”→数十年後、本人が知った驚きの事実
松井康真
Photo:PIXTA
世界的な模型メーカー・タミヤに、小学4年生の少年が「不良パーツを交換してほしい」と手紙を書いた。後日届いたのは、新しい部品と丁寧な返事、そしてミニカタログだった。さらに数十年後、その手紙を書いた人物について驚きの事実が判明する。少年が感じた「タミヤはすごい」の正体とは――。※本稿は、松井康真『私とプラモデルの半世紀』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

タミヤのプラモは
箱のデザインから違う
 今でも、私が初めて作ったタミヤのプラモデルのことは鮮明に覚えています。それはタミヤの1/100ミニジェット機シリーズの「No.5ダッソーミラージュ3C」と「No.15イリューシンIL-28ビーグル」というプラモデルです。

 小学校3年生の時に親戚のおじさんが、

「やっちゃん(康真)、プラモデルでも作ってみるか?」

 というので、喜び勇んで近所の駄菓子屋に一緒にプラモデルを買いに行ったのが最初でした。なぜ駄菓子屋だったかというと、私が住んでいた町には都会にあるような模型専門店なんて一つもなかったからです。地元でプラモデルが買えるのは、文房具屋さんや本屋の一角、駄菓子屋さんみたいなところだけです。

 駄菓子屋に入ると、土間のガラスケースの中に、プラモデルが沢山並んでいました。靴を脱いで奥の畳の間に上げてもらうとさらに沢山積み上げてあり、子ども心に「無限にあるのではないか」というトキメキを感じて胸が高鳴りました。おじさんから「好きなの、選んでいいよ」と言われたものですから真剣です。

 何度も見比べては吟味をして、箱を開けては閉じ、閉じては開け、30分近く悩んだ末に、その中で一番かっこいいと思った戦闘機のプラモデルを買ってもらいました。それがさきほどの2つのミニジェットです。とにかくタミヤの箱のデザインがかっこよくて、子どもながらに他のメーカーとは一線を画すこだわりを感じたのです。

 生まれて初めて手にしたもので、その後の人生が変わるということが本当にあるのか分かりませんが、この時代のプラモデルは、モーターやゼンマイ動力で走ることが基本で、プロポーション(プラモデルの形)は二の次の「(自動車や戦車などの)動く模型」、「サンダーバード」のような人気テレビ番組に登場した「キャラクターキット」などがありました。他方で動かないけれど何分の一という正確な縮尺を謳い、すでに子どものオモチャの次元を超えた「スケールキット」というプラモデルもあって、私はそちらを選んでいたのです。

「ダッソーミラージュ3C」と「イリューシンIL-28ビーグル」の箱は、今の目で見てもほれぼれする素晴らしいデザインです。組み立て説明書の詳細な解説文は、当時の小学3年生には難解すぎて「すごい!いつかこういう文章も読める大人になれるのかな?」と思いましたが、「これは子どもだましのオモチャじゃないぞ……」という興奮も感じていました。今思えば、ちょっと背伸びをしてでも憧れたものに手を伸ばす、という私の性分はこの時から形作られてきたのかもしれません。

待ち続けた少年に届いた
タミヤからの思わぬ返事
 小学4年生になったばかりで、憧れのタミヤと思いがけず交流する出来事がありました。購入したプラモデルの中に、明らかにメーカー側のミスと思われる成形不良の小さなパーツがあったのです。その部品がないと模型が完成しないので、「どうしよう……」と悩んだ末、私はあることを思いつきました。

「勇気を出して、タミヤに手紙を書いてみよう!」

 当時は、プラモデルの説明書に部品請求カードが印刷されていてタミヤの問い合わせ住所が書いてありました。請求カードはこちらが誤って部品を無くしてしまった時などのためにあるのですが、今回は明らかにメーカー側のミスです。それまで文通もしたことがなかったので、自分でもどこから便箋を用意したのかはよく覚えていませんが、鉛筆を握って何度も何度も書いては消しゴムをかけながら、子どもなりに必死で文章を考えました。

 まずは、タミヤのプラモデルが大好きだということ。そして、買ったキットに成形不良のパーツがあったので交換してほしいということ。私は嘘をついていない証拠として、その不良パーツを爪切りでランナー(部品が付いている枝)ごと切り出し、同封しました。
2きつねうどん ★
垢版 |
2026/10/25(日) 07:51:44.25ID:qVLcgRhN
 手紙をポストに投函してからは、毎日落ち着きませんでした。翌日から学校から帰るたびに自宅のポストを覗き込んでは「まだ返事が来ない」とがっかりしていました。ところが、しばらくしたある日、ついに封筒が届いたのです。

 中を開けると、成形不良に対する丁寧なお詫びの文章と、新しいパーツ、そしてタミヤのミニカタログやチラシが入っていました。子ども心にも、それが決して「子ども向け」の対応ではないということは分かりました。年賀状さえろくに書いたことのなかった小学生の初めての手紙に、タミヤが大人の対応をしてくれたのが何よりも嬉しかったのです。タミヤは小学4年生の私に対しても、「一人の社会人」として真剣に向き合ってくれたように感じました。

あの頃のタミヤの手紙を
書いていたのは社長だった?
 翌日、学校の教室でその話をすると、友達が一斉に集まってきました。

「えっ、タミヤから手紙が来たの?」

 タミヤのプラモデルは子どもの遊びの王道だったので、メーカーから手紙が来るというのは、それだけでちょっとした事件でした。友達の輪の中心になった私は、ものすごく誇らしい気持ちがしたのを、今でもよく覚えています。

「タミヤは、僕たちを子ども扱いしない会社なんだ」

「タミヤは、やっぱりかっこいい!」

 という尊敬の気持ちは、こうして私の中に大きく育っていったのでした。小学生の頃に出会ったタミヤのかっこよさは、商品の中身だけではなく、こういう顧客に対する姿勢にもあったのです。

 大人になってから、同世代の模型ファンと昔話をすると、

「自分も小学生の時にタミヤに手紙を出したら返事が来て、すっかりファンになった」

「部品請求用紙の金額を切手に換算して送ったら、ちゃんと部品が届いた」

 という話を、驚くほどよく耳にしました。そういう話を聞くと、初対面の人でも一気に古くからの親友みたいになります。図らずも、1997年に発刊されてベストセラーになった田宮俊作社長(当時)の自伝『田宮模型の仕事』(文春ネスコ)には、「品質というものは、製品そのものが良いだけではなく、アフターサービスなど総合的なことを含めたものだと思うのです」と書かれていました。

 その後、俊作社長と懇意になってから、ある時私が小学生時代に出した手紙の話をすると、「ああ、その時期なら、手紙は私が直接書いているかもしれませんね」

 とおっしゃられました。唖然とした顔をする私に、俊作社長は、

「だって、他に人がいなかったんですよ」

 と静かに答えられたのでした。小学校の時に感じた「タミヤはすごい」という感覚が、何十年も経ってから一本の線になってつながった瞬間です。きっと、私は無意識のうちに学んでいたのだと思います。好きなものに誠実に向き合うということ、そして相手を年齢や立場で判断しないということを。タミヤは、プラモデル以上のものを、私に教えてくれていたのでした。

https://diamond.jp/articles/-/400837
3Ψ
垢版 |
2026/10/25(日) 09:00:44.55ID:qeF4PVVh
なかなか手紙も勇気がいるもんな
4Ψ
垢版 |
2026/10/25(日) 11:16:20.99ID:iKzELDX/
丁寧に対応してもらえたらファンになるよな。
子供なら余計に嬉しいだろうな。
5🐙
垢版 |
2026/10/25(日) 11:47:07.78ID:LjCX2L3M
我輩はタミヤのTシャツやトレーナーって何処に売ってるのかさえ知らない
売ってるの見た事ないから非売品かとも考えてる
6Ψ
垢版 |
2026/10/25(日) 14:07:34.66ID:CsQaF3+0
昔は夏休みのデパートでやってたモデラーズギャラリーでグッズ売ってたよ
7 警備員[Lv.1][苗告]
垢版 |
2026/10/25(日) 14:23:10.83ID:vRLLKhyD
子供の頃の気持ちはずっとだからいいね
8Ψ
垢版 |
2026/10/26(月) 07:39:28.68ID:lo2xpsA0
>>7
その相手先はコロコロ変わってしまうんだけどね…
9Ψ
垢版 |
2026/10/26(月) 08:37:57.69ID:s7wnldW1
思えば「何を趣味にするか」で人生ってかなり変わるだろうな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況