〈中道を立ち上げた私にとって、3党が合流に至らなかったことは誠に悔しく残念でなりません。ご支援、ご期待をいただいた皆様に、深く深くお詫び申し上げます〉

 9月7日、自身のホームページにメッセージを出して謝罪したのは、中道改革連合の前共同代表、野田佳彦元首相だ。

 今年1月、衆議院の解散・総選挙の直前に立憲民主党の野田氏と公明党の斉藤鉄夫氏の2人が共同代表となって中道を結党。しかし7カ月後の8月31日、中道と立憲民主、公明は党首会談を開き、合流断念を正式に確認。中道は解体に向かうことになった。

 合流断念を決めて会見に臨んだ中道の小川淳也代表は、

「中道勢力の拡大と政権交代に向け、再起動していくための新たな形態を見いだしていきたい」

 と、引きつった笑顔を作りながら話した。今後について、富士登山に例えて、

「富士山で言えば、山梨口から登るのか、静岡口から登るのか。登山道は変更を余儀なくされるが、目指す頂は変わらない」

 と語ったが、山頂までの道のりが見えているとは到底思えない状況だ。

■「選挙用新党としか見えなかった」
 中道の結党時は、衆院議員が立憲民主148人、公明24人の計172人と、自民党の196人に迫る大勢力となり、2月の衆議院選挙では「政権交代」を掲げた。しかし、ふたを開けて見れば、高市早苗首相率いる自民が316議席という空前絶後の圧勝。中道は公明系が28人、立憲系が21人の計49議席という壊滅的な惨敗となった。

「これまで長く自公政権が続いたのは、自民党に公明党の票がプラスされたから。それなら公明党を立憲側に迎え入れ、立憲系の票に加えて公明党と反自民の票が上乗せされれば逆転して勝てると多くの議員が思った。しかし、国民から見ると労働者側に立つ立憲と宗教が母体の公明では、選挙のために一緒になった『選挙用新党』としか見えず、フレッシュなはずが極めてブラックに見えた。その場しのぎが、悲惨な結果を生み出した」(中道の立憲系衆院議員A氏)

 衆院選の結果に最も敏感に反応したのは参院だけとなった立憲民主の議員だった。

「中道はコテンパンに高市首相、自民党にやっつけられた。合流すれば、2年後の参議院選挙が危うくなる。参議院だけだが、立憲民主党は独自に行くしかないとなった。選挙目当ての新党が大失敗だったので仕方がない」(立憲民主の参院議員B氏)

 衆院選の大敗の責任を取り、共同代表の野田氏と斉藤氏はともに引責辞任。小川代表が後を継ぎ、参院の立憲民主、公明両党との合流を目指したが、大敗した中道に、もはや求心力はなかった。何度も3党で合流に向けた話し合いが繰り返されたが、立憲民主の合意は得られなかった。

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