>>571
江戸時代後期には大都市の男女比が正常化したことや、幕府の改革政策によって男色は衰退に向かっていた。
だが、薩摩だけ男色が流行ってたので
幕末維新期、そんな薩摩隼人の青年たちが江戸や京都にやってきて、お国の文化を持ち込んだ。
高等教育機関に入学できるのは男子だけであり、家が遠い学生は寄宿舎に入り、男だけの共同生活が行われた結果
学生たちの間で男色が盛んになったのである。
学生たちは、異性との交際(女色)を求める者を「軟派」、男色を求める者を「硬派」といった。
明治の作家による文学作品には、学生同士の男色が描かれているものが少なくない。
明治32年、高等女学校の学校数・生徒数が急激に増加して、「女学生」の登場するまで、男色が続いたとか・・・