>>58
孝太郎がリビングに入ってきたとき、進次郎はソファに深く沈んでいた。
「ただいま〜。ん? 進次郎、どうしたの。暗い顔して」

孝太郎はいつものように気軽な笑顔を浮かべ、靴を脱ぎながらリビングへ歩いてくる。撮影帰りのまま、メイクの痕跡が薄く残った顔で、どこかのんびりした空気をまとっている。
進次郎はゆっくりと顔を上げた。普段は穏やかな弟が、今は静かに目を細めている。その視線だけで、部屋の空気が少し張り詰めた。

「……兄さん」
低い声で呼ばれて、孝太郎は首を傾げる。
「ん? なに、改まって」
「兄さん、BLドラマのオファー受けたんだって」
孝太郎の足がぴたりと止まった。
「ああ、それか。まあ、話は来てるよ。まだ正式に決めたわけじゃないし、面白そうだからちょっと考えてるだけだよ〜」
気楽そうに肩をすくめる兄の態度が、進次郎の胸の奥に熱いものを走らせた。普段の進次郎なら「そうなんですか」と穏やかに聞き流すところだ。でも今夜は違う。

「決めるな」

進次郎がソファから立ち上がる。声はまだ静かだったが、普段の柔らかい響きはなかった。一歩、また一歩と距離を詰める。孝太郎が少し後ずさりしても、進次郎は止まらない。
「痛いって、進次郎……? 何急に」
腕を掴まれて、孝太郎が苦笑混じりに眉を寄せる。力が強すぎた。
「兄さんの唇が、他人の男に触れられるのを見てろって言うんですか」
進次郎の声が、わずかに掠れる。
「兄さんの身体が、カメラの前で他の奴に抱かれる演技をしてるのを、俺は黙って見てろってことですか」

普段は穏やかな弟が、こんなに真っ直ぐに怒りを露わにしている。孝太郎は一瞬、言葉を失った。
「おいおい、本気で怒ってるのか? ただの仕事だぞ? ドラマの話だよ?」
「ただの仕事じゃない」
進次郎は顎を強引に掴んだ。距離が極端に近い。息がかかる。
「兄さんは、俺の兄さんだ」

それだけ言い残して、進次郎は唇を重ねた。
容赦のないキスだった。